日本(にっぽん)とジュエリー、此処にWEBログ                           SINCE 2006. 12. 23
2008年09月

2008年09月07日

此処に復活。
大変長らくお待たせいたしました。無事部屋にネットが、此処に復活しましたので、此処に復活です。

さて、このブログの名前でもある“粋華志義”が、Tシャツになりました!



むふふ。

こちらは、私が所属している鎌倉ローターアクトという活動の一環になります。

ところで、このブログもそうですが、最近、この鎌倉ローターアクトブログが熱い!!!是非皆様方にはお越しくだされたく存じ上げ候。

http://kamakurarac.blogspot.com/







タウンニュースにも出ちゃったりして☆




以上、今後とも御贔屓のほど。

2008年09月08日

睡眠時間
本日も皆様方には御國の為、お勤め御苦労様です。

いや〜、部屋でネットができるというのはなんて便利なものか。とても実感している今日この頃。何でもできるわけじゃないですけど、かなり色んなことが出来ますからな。近代はすごい!ってか、日本を近代化にした維新の人達すごい!

ところで、最近睡眠時間を減らそうとも考えとるんですが、何か良い手はない㋜かねぇ〜?レム睡眠とノンレム睡眠のネタ以外で、何か別に攻略法があったら教えてください。

これって、微妙なんですよね。例えば睡眠3時間で貫くことも出来るが、それだと日中の集中力に影響が出てくる。これだとやってる意味がないんで、まぁ、睡眠時間と効率よく付き合ってゆく方法、合理的な方法があれば教えてくらさい。

m(_ _)m

2008年09月09日

平成寺田屋騒動
・・・というニュースが何日前かの朝のニュースでやってまして。誰が大麻をやったか、とか、首相の辞任、とか、人々が知りたがり症候群のこの世の中、これはやはり知りたがりやです。ご存知の方も多いとは思いますが、右の欄の写真もその寺田屋で撮ってるし。龍馬が襲われた部屋で撮ってるし。このブログにもおおいに関係ある騒動であります。

あの龍馬が打った弾痕が
寺田屋弾痕
違うとなると月とスッポン、絵に描いた餅、言語道断で、今後の人生が大きく変わります。

真実を知りたいところです。



龍馬ファンに衝撃 事件の舞台「寺田屋」に建て替え疑惑

幕末の英雄・坂本龍馬が襲撃された「寺田屋事件」の舞台、旅館「寺田屋」が建て替えられたのではないかという疑惑が浮上している。龍馬が「応戦」した痕だと言われる弾痕も残っていて、当時のままだとされてきただけに、いったい何があったのか。京都市も事実関係の調査に乗り出した。

「記事にあるような『偽装』ではありません」

「週刊ポスト」は2008年9月12日号で、「平成の『寺田屋騒動』」と題し、「寺田屋」が「レプリカ」ではないかという記事を載せている。京都・伏見にある寺田屋は、1866年、坂本龍馬が滞在中に幕吏に暗殺されかけた「寺田屋事件」で有名だ。館内には、襲撃を受けた龍馬が応戦、ピストルを発射した痕だろうと言われる弾痕や、刀痕が残っている。また、入浴中だった寺田屋の女将お登勢の養女・お龍(のちの龍馬の妻)が、龍馬に知らせるため、裸のまま駆け上がったと言われる階段もそのままだ。館内では、「この寺田屋は維新の舞台となった当時の船宿そのままでございます。これが現存することも珍しいことでございますが、この寺田屋の建物の中で歴史が作られたのでございます・・・」という音声解説が流れている。

ところが同誌は龍馬に関する書籍を元に、寺田屋は1868年の戊辰の兵火(戊辰戦争・鳥羽伏見の戦い)で焼失していて、もとは現在の寺田屋東側にある庭に建っていたと推測する。さらに庭には「寺田屋遺址」と書かれた碑があり、地元の人は「東側の庭になっている別の場所に建っていたと祖父は話していました」と明かしている。にもかかわらず、「当時のまま」を謳うのは「食品偽装ならぬ『観光偽装』」ではないかとしている。

J-CASTニュースが寺田屋の経営者に取材すると、

「寺田屋は何度も人手に渡っていて、確かなことはわかりません。私どもが受け継いだのは1976年のことですが、その時から当時の建物だと言い伝えられていました」

とした上で、戊辰戦争で焼失したという説については、

「一部が被災して、修繕したようですが、どの範囲に及んだかはわかりません。しかし弾痕や刀痕、階段は当時のものだと認識しています。記事にあるような『偽装』ではありません」
と話している。

京都市は「聞いたことはありました」
記事を受けて、京都市も調査に乗り出した。依頼を受けた京都市歴史資料館は当時の資料の原文や建物の東隣の庭にある碑を検証していく。資料館担当者は、

「なるべく早く明らかにしたいと思いますが、資料の原文にあたるので時間がかかりそうです」
としている。

また、市のホームページでは、寺田屋に関する項目が2008年9月2日から削除されている。京都市産業観光局は事実を確認するまで載せないという。

もし建て替えられていた場合には、そのことを明記して載せる。さらに、寺田屋に対しては、

「今のままでは観光客の誤解を招くので、建て替えたものであることを明示してほしい」

と指導していく。

ところで、この疑惑を市は知らずにいたのだろうか。

「話を聞いたことはありました。しかし民間の建物だったことと、ご存知のように京都には神社、寺、文化財と星の数ほどの観光資源があり、市がすべて調査することはできません。各施設が責任をもって管理していただかないと」

2008年09月15日

近藤土方
歳三は、激論した。

ついに、泣いた。よせ、よすんだ、まだ奥州がある、と歳三は何度か怒号した。最後に、あんたは昇り坂のときはいい、くだり坂になると人が変わったように物事を投げてしまうとまで攻撃した。

「そうだ」

と近藤はうなずいた。

「賊名を残したくない。私は、お前とちがって大義名分を知っている」

「官といい賊というも、一時のことだ。しかし男として降伏は恥ずべきではないか。甲州百万石を押えにゆく、といっていたあのときのあんたにもどってくれ」

「時が、過ぎたよ。おれたちの頭上を通りこして行ってしまった。近藤勇も、土方歳三も、ふるい時代の孤児となった」

「ちがう」

歳三は、目をすえた。時勢などは問題ではない。勝敗も論外である。男は、自分が考えている美しさのために殉ずべきだ、と歳三はいった。

が、近藤は静かにいった。おれは大義名分に服することに美しさを感ずるのさ。歳、ながい間の同志だったが、ぎりぎりのところで意見が割れたようだ、何に美しさを感ずるか、ということで。

「だから歳」

近藤はいった。

「おめえは、おめえの道をゆけ。おれはおれの道をゆく。ここで別れよう」

「別れねぇ。連れてゆく」

歳三は、近藤の利き腕をつかんだ。松の下枝のようにたくましかった。
ふってもぎはなつかと思ったが近藤は意外にも歳三のその手を撫でた。


「世話になった」

「おいっ」

「歳、自由にさせてくれ。お前は新撰組の組織を作った。その組織の長であるおれをも作った。京にいた近藤勇は、いま思えばあれはおれじゃなさそうな気がする。もう解きはなって、自由にさせてくれ」

歳三は、近藤の顔をみた。
茫然とした。

「行くよ」

近藤は、庭へおりた。おりるとその足で酒倉へゆき、兵に解散を命じ、さらに京都以来の隊士数人をあつめて、

「みな、自由にするがいい。私も、自由にする。みな、世話になった」

近藤は、ふたたび門を出た。
歳三は追わなかった。

(おれは、やる)


以上、“燃えよ剣”より抜粋。


2008年09月17日

竜馬六人
最近、それがしの周りで「竜馬がゆく」を読み始めたのが、6人にもなった・・・。


2008年09月18日

竜馬七人
“竜馬がゆく”、7人でした。



華神屋では、竜馬がゆくを応援しています。 ^^

2008年09月20日

長藩奇兵

奇兵隊

「長州藩の奇兵隊は長州藩諸隊と呼ばれる常備軍の1つである。「奇兵」とは藩士・武士のみからなる部隊(撰鋒隊)に対して、藩士と藩士以外の武士・庶民からなる混成部隊の意味。「正規兵」の反対語である」
Wikipediaより抜粋


700年の常識を覆した奇兵隊。日本陸軍の大元ともなったであります。いつかのブログでもログりましたが、陸軍の「〜であります」は山口弁、つまり奇兵隊の言葉がそのまま移ったのであります。で、これを作ったのが高杉晋作というのは言うまでもありませんが、自分の死期が近づいた時に、墓に“奇兵隊 開闢総督”の名を希望したあたり、やはり奇兵隊に対する想いが伝わります。

さて、全国晋作会連合会に入会しましたが、届きましたよ、


奇兵隊袖印。

聞いておそろし 見ていやらしい 添うてうれしい 奇兵隊

2008年09月22日

極東日本
先月末、スペインに住んでいる友人が、一時帰国で日本に帰ってきた。同日、イスラエルのユダヤ人の友人が日本に来て、合同で会いました。今月の初旬には、タイで粋ている後輩が一時帰国したそうだが、これはすれ違いで会えなかった。今宵は、これまたイスラエルより、友人が一時帰国で帰ってきたので、今会ってきました。今月末には、もう一人やってくる。来月は、日本に帰ってきた友人が、またタイへ行く。

今年は明治維新140周年、来年で横浜開港150周年。あれからもう、150年。日本人は国際人となれているのか。

〜続く〜

2008年09月24日

都大東京
今日、久しぶりに東京に行きました。
運転していくなんていったら、もう何年ぶりになるだろう。

建物、高ぇ〜

夜景、綺麗ぃ〜

駐車場、高ぇ〜

400円もするんスか!ちょっとスキをみしただけで。
25分で400円。
横浜でも20分100円なのに。

さすがは花の都・大東京。
img55459455.jpg

だけど俺は この街を愛し、そしてこの街を憎んだ♪
ふふ。わかります?

東京はやっぱりすごい。
夜景なんて特に綺麗でね、色んなドラマがあるんだろうなぁ〜。

って。


・・・やはり、東京か!?

2008年09月25日

問羅馬字
ローマ字とは、よく言うものだ。

素朴な疑問が今日この頃、再発しました。
前から思っていたのですが、
「高校」をローマ字にすると、

koko

???
ここ???
本人は「こーこー」のつもりでしょうが、
やっぱりピンと来ないんです。

何故

koukou

としないのか。
いやですね、今日通った交差点名がコレだったんスよ。


続いて、浩二郎君がいたとします。
やっぱり、

kojiro

で来るんでしょうか。
こじろでいいんでしょうか。
何故、

koujirou

にしないんでしょう。

東京は、tokyo(ときょ)?
庄司は、shoji(しょじ)?
龍馬は、ryoma(りょま)?

誰かこの攻略法を教えてください〜 

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粋華屋俊雄

Author:粋華屋俊雄
スイカ㋳ シュンユウと申します。
以後、お見知りおきを。

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燃えよ剣

土方歳三が、言う。
「どうなる、とは漢の思案ではない。おとことは、どうする、ということ以外に思案はないぞ」
恋人も、親友も、そして時勢ですらにも背を向けて自分の信念を貫き、貫き、且つ貫き通す、新撰組を作り上げた鬼の副長・土方歳三を描く物語。

竜馬がゆく

坂本龍馬が、言う。
「世の人は 我をなんとも 言わば言え 我がなす事 我のみぞ知る」
薩長同盟、大政奉還・・・。維新回天の立役者となった坂本龍馬の奇跡の生涯を描く物語。

世に棲む日日

高杉晋作が、言う。
「おもしろき こともなき世を おもしろく・・・」
奇想天外、神出鬼没、国士無双・・・。まるで神がこの激動期に同情して天から落としたが如くの天才・高杉晋作を描く物語。

酔って候

鯨海酔候が、言う。
「昨は橋南で飲み 今日は橋北で酔う 酒あり飲むべし 吾、酔うべし」
土佐の酔候、山内容堂。薩摩のきつね馬、島津久光。伊予の賢候、伊達宗城。肥前の妖怪、鍋島閑臾。激動の時代・幕末を大名の視線から描いた物語。

忠臣蔵1/47 DVD

浅野内匠頭が、言う。
「乱心にあらず・・・。 浅野内匠頭長矩、乱心にあらず・・・。」
関が原から100年、時代は太平の世にさしかかり、武士はその心を忘れかけていた。こんな時代にひとつの事件が起こった。
・・・「君辱めらるれば、臣死す」

花神

高杉晋作が、言う。
「大村(益次郎)を仰げ」
幕末のこの時期に彗星の如く現れた人物がいる、大村益次郎。幕長戦争、戊辰戦争を絶対不利な立場ながらも快勝に導いたこの村医者が、後に靖国神社をつくった。

新撰組! DVD

近藤勇が、言う。
「俺は武士よりも武士らしくなる!!!!!!!」
菊のかおりに 葵が枯れる 枯れて散る散る風の中 変わる時勢に 背中を向けて 新撰組は 何処へ行く

あやつられた龍馬

フリーメーソンと龍馬???
自由、平等、博愛・・・。アメリカ独立戦争、フランス革命の指導者だったフリーメーソンが初めて日本に舞い降りたのが、幕末であった・・・。

武士道

“義”、“仁”、“礼”、“智”、“信”、“忠”、“孝”、“悌”。
武士道とは何たるものか。を世に広く知らしめた本。

竜馬がゆく DVD

勝海舟が、言う。
「そんなことしてるとなぁ・・・ニッポン国は潰れちまうんだよぉっ!!!!!!!!!!(怒)」
司馬遼太郎著「竜馬がゆく」原作。

翔ぶが如く

吾、此処に来り、始めて親しく西郷先生に接することを得たり。一日先生に接すれば一日の愛生ず。三日先生に接すれば三日の愛生ず。親愛日に加はり、去るべくもあらず。今は、善も悪も死生を共にせんのみ。
西郷とその徒の死は、前時代からひきついできたエネルギーの終焉であったであろう。そのエネルギーというのはただに江戸期だけでなく、室町期あるいはさらに鎌倉期からひきつがれてきているなにごとかであったかもしれない。

幕末

桂小五郎が、言う。
「逃げることさ」
幕末の舞台を作った清河八郎、龍馬暗殺の後の花屋町襲撃事件など、十二の暗殺事件をもとに描いた、幕末の隙間を埋めてくれるが如き短編集。

最後の将軍

徳川慶喜が、言う。
「長州へ大討込をする」
ペリー来航以来、開国か攘夷か、佐幕か倒幕かをめぐって、天下は最悪の政治的混乱に陥ってゆく。その政治の頂点に立った慶喜、700年続いた武家政治を自らの手で葬り去った苦悩の生涯を描く。

ボトルメール

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